まいど!kojiです!
古代エジプト最後の女王、クレオパトラ7世は絶世の美女であったと言われています。

エジプト最後の女王 クレオパトラが亡くなった日
エジプトの王家で生まれたクレオパトラは、子供の頃から頭がよく、成長するにしたがって美しさを増していったと言います。
その頃、地中海の周りは、ほとんどがローマ帝国の支配下にありましたが、エジプトだけが独立した国として成り立っていました。
紀元前一世紀になると、ローマの将軍たちの間で周りの地域を巻き込んだ権力争いが次々に起こります。
クレオパトラは18歳の時に女王になり、その知性と美貌を持って、ローマの指導者たちを自分のとりこにしながら、エジプトの独立を守ろうとしたのです。
21歳の頃、クレオパトラは勢力争いによって、一時追放されていましたが、ローマの指導者で「英雄」と呼ばれたユリウス・カエサルがエジプトを訪れたときに、こっそりと面会しました。

【絨毯にくるまりこっそりと…】
カエサルは驚くと同時に「なんと美しい人なんだろう」とクレオパトラに恋をし、彼女を王座に戻すようエジプトの王宮に働きかけます。
その後、紀元前44年にカエサルが殺されたのち、同じくローマの指導者であるマルクス・アントニウスもクレオパトラに恋をします。
カエサルの死を悲しんでいたクレオパトラも、次第にアントニウスの事が好きになっていきました。
しかし、その後のローマ内の戦いでアントニウスは負け、エジプトに追い返されます。
混乱の中で「クレオパトラが死んだ」と言う間違った情報が耳に入ると、アントニウスは絶望し、自殺を図りました。
そして、その知らせがクレオパトラに届くと、紀元前30年8月12日(いくつか説があります)に、彼女も自ら命を絶ったのでした。

毒蛇に胸を噛ませたか、毒を飲んだと言われています。
【クレオパトラの晩餐】





この日は他にも…
アルプスの少女ハイジの日 8(は)1(い)2(じ)の語呂合わせから。
koji