8月10日 今日は何の日?


まいど!kojiです!

江戸時代の17世紀後半から18世紀初めごろ、大坂おおさか(今の大阪)や京都を中心に経済が発展して裕福ゆうふくな商人が多くなったことで、町人ちょうにんの間に新しい文化が生まれました。

これを「元禄文化げんろくぶんか」と言います。

江戸時代前期の大作家 井原西鶴いはらさいかくが亡くなった日

1642年(寛永かんえい19年)井原西鶴は大坂の商人の家に生まれました。

少年の頃から俳諧はいかいと言って面白味のある和歌を作るようになりました。

父が亡くなると、奉公人ほうこうにん(他人の家にやとわれ働く人)に家業をゆずり、俳諧に専念します。

21歳の時には、俳句の優劣ゆうれつを評価して点数を付ける点者てんじゃになりました。

そして1日にどれだけ多くの句をむことが出来るかを競う俳諧興行はいかいこうぎょうで活躍し、大坂の住吉神社で2万3千5百句を詠むという大記録を打ち立て、有名になりました。

その後、西鶴は字数じすうなどの制限のある俳諧よりも、のびのびと表現できるものとして、新しい文学の形の「浮世草子うきよぞうし」を書き始めます。

それまでの文学は、貴族や武家社会を描いたものばかりでしたが、この頃から庶民の様子を描くようになったのです。

西鶴が41歳で発表した浮世草子『好色一代男こうしょくいちだいおとこ』は、町人の男女の恋愛を描いた物語として評判になりました。

その後も、商人の成功を描いた『日本永代蔵にほんえいたいぐら』や、武家のかたき討ちを描いた『武道伝来記ぶどうでんらいき』などが人気になり、お金に振り回される商人の姿を描いた『世間胸算用せけんむねさんよう』はベストセラーになりました。

西鶴は、人形浄瑠璃にんぎょうじょうるりや歌舞伎などの芝居の台本を書いた近松門左衛門ちかまつもんざえもんや、『奥の細道』で知られる松尾芭蕉まつおばしょうと共に、元禄文化を代表する文学者と言われています。

1693年(元禄六年)8月10日に亡くなりましたが、西鶴の作品は、後世の作家にも影響を与えました。

井原西鶴終焉の地

この日は他にも…

道の日 最初の道路整備に関する長期計画である第一次道路改良計画が実施されたことから(1920年)

koji

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