6月24日 今日は何の日?


まいど!kojiです!

加藤清正かとうきよまさ尾張おわりの国(今の愛知県)に生まれた武将です。

虎之介とらのすけと呼ばれていた子供の頃から、羽柴秀吉はしばひでよし(のちの豊臣秀吉とよとみひでよし)の忠実な家臣かしん家来けらい)としてつかえ、秀吉の天下統一の道のりをささえ続けました。

秀吉に仕え、熊本城を設計した加藤清正が亡くなった日

15歳の時には、秀吉が親代わりとなり、元服げんぷくの儀式(別記事 成人の日 1月15日)が行われました。

「虎之介、元服の歳になった。おまえは今日から清正と名乗れ」「秀吉様、ありがたき幸せに存じます」

1583年の賤ヶ岳しずがたけの合戦での活躍では、清正は、「七本槍しちほんやり(七人のすぐれた家臣)」の一人と言われました。

秀吉の死後、徳川家の時代になっても、徳川家との間を取り持ちながら、豊臣家が続くように努力します。

清正のもう一つの顔は「土木の神様」と言われるほどの城を築く腕前です。

若い頃から城の設計に興味を持っていた清正は、肥後の国(今の熊本県)に領土を与えられると、1601年から熊本城を作り始めました。

おおぎのようなカーブの石垣や複雑にめぐらされた通路など、敵からの攻撃に徹底的に備え、難攻不落なんこうふらく(攻撃することがむずかしくなかなか落ちないこと)の名城めいじょうと言われています。

「たとえ城の中に立てこもることになっても、生き残れるようにしなければならない」

過去にいくさで城に閉じ込められ、食べ物が尽きて死にそうになった経験がある清正は城の周りに銀杏いちょうなど実のなる木を植えたり、壁や畳に乾燥させた食べ物を埋め込んだり、井戸をたくさん掘ったり、様々な工夫をしました。

また、「国を治めるには、民衆の生活と心を安定させることが第一」と、ただ城を作るだけでなく、洪水が起こらないように河川かせんを整えたり、用水路を引いて田畑をうるおしたり、人々が暮らしやすい国づくりをしました。

1611年(慶長16年)6月24日に亡くなった清正は、熊本では今も「清正公せいしょこさん」と呼ばれ、親しまれています。

 

この日は他にも…

昭和時代の歌手 美空ひばりさんが亡くなった日(1989年)

koji

ABOUTこの記事をかいた人

スーパーマーケット勤務で野菜と果物を販売しています。 野菜と果物を見つめて40年!現在進行形のプロです。 好きな物はとにかく”肉”が好きです! カツカレー、焼き肉、ステーキ、生姜焼きまで!たまりません! 歌も好きで、暇をみては一人カラオケします! それから、ヒーロー達の乗り物が好きなんです。 例えば【サンダーバード】に出て来るメカ、 【バットマン】が乗っている全ての乗り物、 【マジンガーZ】を操縦する頭の上に乗っかるホバーパイルダー、 古くは 【スーパージェッター】の流星号、 【マッハGOGOGO】のマッハ号 などのミニチュアを集めてます。 【ルパン三世】も大好きで『カリオストロの城』でハマりました。 細かい物まで見つけては集めてます。