まいど!kojiです!
震災の復興につくした 後藤新平が生まれた日
後藤新平は、今からおよそ100年前、現在の東京の基礎を作り上げた政治家であり、官僚であり、また医師でもあります。
新平は1857年(安政4年)6月4日、陸中国の塩釜村(今の岩手県奥州市水沢区)で生まれました。


子供の頃から勉強は出来たのですが、わがままなところがあり、何をしても長続きしませんでした。
それでも医学を学び、医者として活躍するようになりますが、「人の病気を治すのも素晴らしいが、もっと大きな、国家の病気を治したい」と考え続けていました。
外科医として認められ、愛知病院(今の名古屋大学附属病院)の病院長になった新平のもとに、怪我をした患者が運ばれてきます。その患者は、自由民権運動を推し進めていた政治家の板垣退助(別記事 4月17日 今日は何の日?)でした。
治療にあたった新平と板垣は意気投合します。これがきっかけで新平は政治の道を志すようになりました。
まず、内務省衛生局(伝染病を予防したり、病院の制度を整えたりしていた役所)に努めます。
その後も、外国での都市づくりで力を発揮しました。そして内務大臣や外務大臣など、政府の重要な役職を務めたのち1920年に東京市長になります。
1923年に発生した関東大震災によって東京は焼け野原になりました。
「今こそ、首都東京を治療するときだ」と立ち上がり、新平は新しい都市計画をすすめていきます。
新しい大通りをいくつも作ったり、交通機関を見直したり、公園や公共施設を整備したりして、震災からの復興と新しい都市づくりを同時に進めました。
現代の近代的な東京の姿は、この時期に築かれたのです。
この日は他にも…
天台宗を開いた平安時代の僧、最澄が亡くなった日(822年)
真田幸村(別記事 5月7日 今日は何の日?)の父、真田昌幸が亡くなった日(1611年)
koji