手塚治虫が亡くなった日 2月9日


まいど!kojiです!

kojiが大好きな漫画家です。作品はほぼ読みました。

「ブラックジャック」「火の鳥」はこれからです。この作品は手塚治虫の集大成だとkojiは思っていますので、この2作品でkojiの中では「完」です。別記事書いてますので、読んで下さい。手塚治虫の世界

命と平和の大切さを書いた

手塚治虫が亡くなった日

1951年、東京の有楽町にある映画館のスクリーンで、ディズニーアニメ「バンビ」が上映されていました。

座席に1人、朝から夜まで座ってその日の上映を全部見ている男性がいます。

「うん、何回見ても発見がある」

何日も通い詰め、80回以上見たその人は、大人気漫画家の手塚治虫(本名 治 おさむ)でした。

治虫は小学生の頃から漫画を描くのが大好きでした。

「今日は何を書くの?」「ねえ、早く続き書いて」休み時間になると友達が治虫の周りに集まってきます。

「手塚は漫画家になれるぞ」先生にも太鼓判を押され、治虫は嬉しくてたまりません。

でも、中学になって戦争が始まると、工場に駆り出され、漫画を読むのはもってのほか、と言う世の中になりました。

治虫は工場のトイレの壁に毎日1枚づつ、漫画の続きを貼ってこっそりみんなを喜ばせました。

1945年、治虫が住む大阪を大空襲が襲い、工場から家までの長い道のりを歩いて帰ることになります。

川の中の死体、血だらけの人、泣き叫ぶ子供…..。

その日見た地獄のような光景は、深く心に刻まれました。

「僕はもう大好きな昆虫採集をやめよう。他の命を奪う権利なんか、誰にもないんだ」治虫はそう決心しました。

その後、医者を志し、大学の医学部へ入ってからも、治虫は漫画を描き続け、新聞に4コマ漫画を連載していました。

また、漫画家の酒井七馬と作り上げた長編漫画「新宝島」は、まるで映画のように生き生きとした書き方で、読者を驚かせました。

医者になるための、国家試験には、合格しますが、治虫は漫画家の道を選びます。

「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」「リボンの騎士」…..。

生物や科学の知識をもとに、命と平和の大切さを描く治虫の漫画は、「まんがなんてくらべりなし」と言う大人たちの考えも買えて行きました。

1989年2月9日60歳で亡くなるまでに、治虫は約700もの作品を書きました。

治虫は「漫画の神様」として、今でも人々に親しまれています。

 

この日は他にも…

服の日 2(ふ)9(く)の語呂合わせ

koji

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スーパーマーケット勤務で野菜と果物を販売しています。 野菜と果物を見つめて40年!現在進行形のプロです。 好きな物はとにかく”肉”が好きです! カツカレー、焼き肉、ステーキ、生姜焼きまで!たまりません! 歌も好きで、暇をみては一人カラオケします! それから、ヒーロー達の乗り物が好きなんです。 例えば【サンダーバード】に出て来るメカ、 【バットマン】が乗っている全ての乗り物、 【マジンガーZ】を操縦する頭の上に乗っかるホバーパイルダー、 古くは 【スーパージェッター】の流星号、 【マッハGOGOGO】のマッハ号 などのミニチュアを集めてます。 【ルパン三世】も大好きで『カリオストロの城』でハマりました。 細かい物まで見つけては集めてます。