狩野永徳が生まれた日 1月13日


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1月13日・今日は何の日?

日本の絵画界のスター

狩野永徳(かのうえいとく)が生まれた日

室町幕府の御用絵師(幕府に仕える画家)である狩野元信(かのうもとのぶ)は、悩んでいました。

「わしが死んだ後、この狩野派はどうなるのだろうか」

父、正信(まさのぶ)から続く狩野派を発展させ、たくさんの注文がくる

画家集団を作った元信ですが、跡取りをなかなか決めることが出来ずにいたのです。

そんな時、孫の源四郎(げんしろう、のちの永徳)が生まれました。

1543年(天文12年)1月13日の事です。

元信が手ほどきをすると、源四郎は小さい頃から、驚くような才能を見せました。

「狩野派を任せられるのは源四郎だ。これでやっと安心できる」

元信は源四郎を跡取りにする為に、まず源四郎の父である直信(なおのぶ)に家を継がせます。

当時は、長男が跡を継ぐ事が多い中、源四郎の才能がひいでていることは、

誰の目にもはっきりしていたので、その父である三男の直信が継ぐ事をに反対はありませんでした。

こうして源四郎は絵師、永徳として活躍するようになります。

永徳が24歳の時、父と共に大徳寺聚光院(だいとくじじゅこういん)に絵を描く大きな仕事をし、

中心となる部屋は、永徳が受け持って、名作「花鳥図」(かちょうず)を書きました。

すでに狩野派の中心となっていたことがわかります。

永徳の絵は力強く、戦国武将たちにとても人気がありました。

織田信長や豊臣秀吉などにも気に入られ、安土城や大阪城の襖絵も任されました。

永徳は、安土桃山時代だけでなく、日本美術史上最高の絵師の一人と言われています。

1590年、働き盛りの48歳で亡くなりますが、永徳によって更に栄えた狩野派は、

江戸時代まで絵画界の中心となりました。

代表作に「唐獅子図屏風」(からいしずびょうぶ)、「洛中洛外図屏風(上杉本)」(らくちゅうらくがいずびょうぶ うえすぎほん)などがあり、国宝に指定されている物もあります。

唐獅子図

楽洛中洛外図の一部です。

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