まいど!kojiです!
この記事は私、kojiが腰痛を発症し手術に至るまでを書いた記事です。
「この病院がいいよ」「マッサージがいいね!」「私の施術でたくさんの方が治りました。」と言うものではありません。
腰痛の最終手段は手術?ではないと思いますが、私は手術をせざるを得ない状況になってしまったんです。
そんなことを書いた記事です。痛くて辛かった日々を思い出しながら書いて行きます。
私は18歳からスーパーマーケットで青果部を担当しています。精肉、水産,一般食品、総菜、ベーカリー部門など様々な部門がありますが、青果部は重いものが多い!玉ねぎ、大根、白菜、きゃべつ、りんご、みかん、などなど…1つで10Kgを超えるものなんてざらです。玉葱に関しては20Kgですよ?!。
こんな話をしても「何言ってんの?」と思われても仕方ありません。が 若いって凄いな!って思いませんか?
18で入社して仕事を覚えてバリバリやって、その時は腰痛なんてこれっぽっちも考えなかったですし、自分が最終的に手術することになるなんてそれこそ考えもしなかったですからね。
私が初めて腰痛を発症したのは中年になってからです。腰痛になられた方は経験がある方もいらっしゃると思いますが、あの『グキッ』です。
そう、ぎっくり腰です。これは癖になるようで私は最初になってから酷くなる前には、必ず前兆のように起こりました。
ぎっくり腰
最初のうちは医者に行き、電気でピクピクなどやってもらいましたが、それである程度は効いていたんだと思います。軽い腰痛は回数を増し、そのたび、マッサージ 首の牽引 針 気功にまで行きました。
結果から言いますと、これらの行動は一切が無駄だったんです。その場しのぎなんですね。
でも、何も手立てがないんですよね?
痛みを取るためにこれらの行動をするしかないんですねぇ?
今考えると、どのくらいの時間とお金を使ったんでしょう?
ただその時は必至ですから!
そんな『グキッ』をくりかえしているうちに、とうとう、悪魔が顔を覗かせてきました。
〈激痛1回目〉
30代前半、いつもよりちょっと激しい『グキッ』が襲ってきました。やった瞬間は歩けない状態ではなかったのですが、時間がたつにつれ、歩くのがやっとと言う状態になって来ました。
痛みは全然消えません。
その日はいつもの様に車で帰宅しようとしたのですが…..
皆さん、普段やっている車の乗り降り。いつもなにげなくやっている事が急にできなくなるって経験ありますか?。腰が痛くて普段の乗り降りができないんです。
乗るときは頭から入らないと乗れないんです。
そう【頭を下げる】行為が出来なかったんです。
タクシーで医者に行ったのですが、頭から乗ったら「腰ですね?」とドライバーさんに言われました。
タクシードライバーの方も多いと聞いたことがあります。
医者には「1週間安静に寝てなさい。そうすれば治る」と言われました。
人間は腰がダメだと一切の事が出来なくなると、このとき思いました。
トイレに行くのも ほふく前進。立って用を足す事ができないので、もちろん座り。あとは寝るだけ。
のちに寝るだけの行為さえもままならないほどの激痛に悩まされる事をkojiはまだ知らないのです。
会社を1週間、休みました。
〈激痛2回目〉
40代半ば、2度目の悪魔がやってきます。
突然でした。
店内で ”もやし” を出している最中でした。今思えば中腰で作業をしてましたね。(人は痛みがなくなると忘れるんですね。)
『がっくん!』と来ました。ギックリの激しい版?なのでしょうか?自分でも何が何だかわからない感じで。
それと同時に目の前の映像が全てシャーーーと白黒の縦線になり、一瞬は踏ん張っているんですが、次の瞬間!
ガクガクと膝がしだして、そばにあるものに捕まっていました。
何か異常な音とかがしてたんだと思います。部下が駆け寄って来て「大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。
足がガクガクだったので支えてくれて裏の椅子に座らせてくれました。
が、しかし この後、激痛が走ります。
座っていられないんです!あまりの激痛につかまり立ちし、少し前かがみで激痛を和らげます。
しばらくそのままでやり過ごしました。
この日は後輩が仕事が終わるのを寝て待って、連れて帰ってもらいました。
会社を1か月休みました。
〈3回目の長~い激痛〉
とうとう、悪魔が牙をむきました。
平成25年です。やはりこのときも、『グキッ』が来ました。
内心は「まただ、やばいな」と思いながら、「また長引くのか」、「なんとかしないと」と、慣れからか、そんなことが頭をよぎり、「まだ軽いうちに直さないと」、「長く会社を休まなくちゃいけなくなるし」と思っていました。
ところが今回だけは違いました。
ちょっと動いて痛くなるとその痛みが徐々に増してきて激痛まで行くと徐々に収まっていくんです。
この痛みの周期の波が出来て、もう、どうしようもなくなった時、悪いことは続きます。
くしゃみ
みなさん聞いたことがあるかと思いますが、くしゃみはものすごく腰に力が入るんでしょうかね?kojiもわかりませんでした。ただ、くしゃみをする瞬間、「なんか、ヤバいぞ?」と言う感じはしました。
そして… くしゃん!!
その時、完全に腰が落ちました。そして落ちた瞬間、座骨(太股)をやってしまいました。
その痛さときたら、なかなか味わえないですよ。w 今だから笑って言えますが、その時はその場をのたうち回っていましたから。💦
さすがの私も、もう無理でした。あおむけ、うつ伏せ、横向き、どんな格好をしても激痛が襲うのです。
【助けてくれ!!】……………………..そして決断しました。
「救急車を呼ぼう!」
119番に電話をしました。
「もしもし…..」激痛との闘いで何を言ったか思い出しませんが、救急車が来るまでに「玄関を開けないと」と思いズリズリと玄関の鍵を開けに行ったのは覚えています。
救急車で病院へ…。しかし…、
そのまま入院?では、ないんです。
ブロック注射を打たれて、その日は、帰されました。
腰痛の酷い方は打ったことも、あると思いますが、ブロック注射(簡単に言うと痛み止め)は結構痛いんです。
台の上でパンツを降ろされ四つん這いにさせられて(言っておきますが、激痛で救急車で運ばれたそのままの状態です。)なかなか打たないので「早くしろ!」と催促したら、なんとなんと、なんて言うんですか?あの若い実習生?医者の卵?ひよこ?達(インターン?)に
私の状態説明とブロック注射を打つ場所など、その場で教えているんです。ひよこ達は必死に言われた事を書いているんです。(私は台の上でパンツを降ろされ四つん這いです。w)
いいですよ?!私の腰痛で一人の腰痛の権威でもできれば…。
でも今はそれどころではありません。
ようやく、打ち終わり、その後どうしてたか、記憶がありません。あまりの激痛に医者には叫んでましたし、あぶら汗はダラダラで正気を失っていましたから…。
きっかけ
私が手術をするきっかけは、この救急車を呼んだ事から始まります。
関東労災病院
私が運ばれた病院は初診予約制及び紹介制で他の医療機関からの診療情報提供書(紹介状)が無い場合は、予約を取って初診料とは別に保険外併用療養費5400円を負担、了承の上受診をするかたちになっています。
ちなみにkojiの様に救急車で運ばれたとき、緊急性のある場合と書いてありましたが、負担はないそうです。
整形外科 脊柱外科 スポーツ整形外科 など外科系であと7つの科があり、内科系は10 診療科は12 診療支援部門9の科が整ったかなり大きな病院です。
kojiがリハビリをしているときに 沢山の若い子たちがリハビリをしていて「若いのにどうしたんだろう?」と思っていましたが、スポーツ整形外科があると聞き納得しました。
病院は行かないに越したことはありませんが、ここの病院でよかったと今は思っています。
本題に戻ります。
ようやく 落ち着いたのが帰路でした。
がしかし 完全に痛みがとれたわけではなく、歩けるようになったんだから帰りなさい的な感じでした。
そして、これから通院の日々が始まります。
通院
担当医師はもちろんkojiを切った医師です。3日~7日間隔で通院しました。
その間もずっと痛くて、歩くときは少し前かがみになって歩かないと痛いんです。
通院が始まって意外と早い段階だったと思います。
どうも左足が言う事を利かないんです!
少しづつなんですが感覚がなくなっていってるような気がしたんです!まだそんなに不自由ではなかったので腰からしびれが来てるのかと思っていました。
それから数日後、とうとう左足がマヒして動かなくなってしまったんです。
先生に「左足の感覚がない!」と伝え検査をしました。
数日後、検査結果が出ました。
病名
『椎間板ヘルニア 脊柱管狭窄症』との事でした。(ついかんばんへるにあ せきちゅうかんきょうさくしょう)
こんなこと言われても、知識の全くないkojiは「???」です。
次に医者から出た言葉は
「kojiさん!このままほおっておくと足が動かなくなってしまう。今、手術は混んでいるんだが、早くしないと動かなくなってしまうので、日にちをこじ開けるから、切りましょう!」と言われました。
腰はどんなに痛くても、医者はなかなか切ってはくれないらしいです。
ですがkojiは、ずーーーーーーと長い間、腰痛激痛と戦ってきていたので、内心「先生!なんでもいいから切って! 痛みから解放して!」
これが正直な気持ちでした。
だから切りましょう!と言われたときは「やった!これで痛みから解放される!」その気持ちが強かったです。
そして、この話が決まってから入院の日まで、約10日間ありました。
手術までの10日間
今考えると、この10日間が一番きつかったかも知れません。
激痛は座薬でおさまっていますので、日中も和らいでいます。ただもう、まともに歩けなくなっていましたので、家の中で”杖”をついて、いろんな所につかまりながら歩いていました。
立っているのがやっと、横になると激痛が来るので寝ることさえできない状態でした。
家で寝るときは、たまたま足の部分がリモコンで動くソファーがあったので、それに座って足のところを上げて寝ていました。簡単に書いてありますが、これが一番きつかった。横になって寝れないんですよ?!毎日毎日ソファーで寝るんですよ?! 夜、寝る事が苦痛でした。
この10日間でまだまだやる事があります。
まずは、検査です。
CTスキャン、レントゲン、円盤に乗せられて自由自在に動かされて…。何の検査だったんだろう?
まだいくつか検査はありましたが忘れました。
全てが激痛で仰向けにされたり横向きにされたり苦痛でしかなかったです。それと…
大変な大仕事がまだあるんですよ!
コルセット
実は手術後に使う”コルセット”を作るんです。
脇の下少し下あたりから、骨盤の上部あたりまでの胴長コルセットです。
これを作るときが大変だったんですよ!個人の身体に合わせてジャストフィットさせるオーダーメイドなんです。
腰は毎日ゆるい激痛できついんですヨ。
まず、石膏で型どりなのですが、手をあげて胴回りの型を取るんですが、普段、痛いから腰を曲げて前かがみで歩いている状態なのに、型どりだからと、腰を伸ばしてまっすぐにしないとダメだと言われ、無理ですよ、もう悲鳴ですよ、痛いの痛くないのって…。涙ぼろぼろでした。
手際よくやっては、くれているんですが、もう苦痛でしかなく…。「痛い痛い!」と口走りながら苦痛に顔をゆがめていると、「はい!もうすこしだからねー、頑張ってねー」と完全に子ども扱い。情けなくなりました。
ちなみに、このコルセット 保険適用外で先払いでした。
3万円くらいだったと記憶してます。(手続してのちに返ってきましたがw)
この10日間の検査などが、まあ苦痛でしかありませんでした。
でも手術をすればこの痛みがなくなるんだ!と思っていたので頑張るしかなかったんです。
そして、やっと入院です!
入院
3月20日に入院して21日が祭日なので手術は22日になりました。
入院してすぐ担当医から手術についての説明があり、そのなかで「前日から必ず禁煙をしてください。」と言われました。(禁煙に関してはまた別な記事で書いています)
おりこうさんなので言いつけはきちんと守っていましたよw。
看護師さんたちは本当に天使です!
後は看護師の方に、トイレの使用法やら、風呂は入れなかったので、身体を拭いてもらったり、車いすを押してもらったり、本当に親身になってお世話をしていただきました。
看護師さんの手厚い看護のお陰で手術の日まで痛みで苦しむこともなく手術を迎えられました。
看護師さんたちは自分にしてくれた事もそうですが、他の患者さんにしている事など見ていると仕事の域を超えています。
大変なお仕事だと思いました。
本当に天使たちですよ。感謝です。尊敬します。ありがとうございます。
手術
夕方17:00開始でした。
それまでは何も変わらなく過ごしていて、看護師さんが呼びに来てくれて、車いすで移動。
手術室の前で看護師さんが麻酔科の方にkojiを引き渡したとき、やっとkojiは手術の実感がわいてきました。
しかし、実感がわいてきましたが、感じている暇はありませんでした。w
手術室に入ってすぐ、?うーーん?あれなんて言うんですか?口に当てて呼吸する奴
(名前がわからないからググっても出てこない)で麻酔をされて(昔は注射でしたよね?w)
「グワン!てしますよ、したら教えてくださいね。」と言われました。
するとすぐ グワン!って来たんです。
「あ、来ました」
「それじゃ もうすぐですねぇ」と言われたのを最後に、スーと意識が遠のきます。(この瞬間は凄く気持ちがいいんですw)
あっという間に麻酔に落ちました。
後のことは本人も当然わかりません。
手術時間は約3時間半くらいだと聞きました。
終わって手術室を出たとき、少し目が覚めてボケボケしてる間にまた落ちました。
目覚めたら管だらけ
目覚めたら”管”だらけでした。
まずは、点滴、そして、尿、もう一つは背中の患部の血抜きの管です。
この背中の管が抜けないと、ベッドから出れません。食事の時も看護師さん二人掛かりで起こしてもらって患部に支障がないようにクッション等であてがって食事の体制を作ってくれます。
患部の管を外すには医師のOKが必要です。なかなかいいとは言ってくれないんですよ。w
傷口の確認をしてもらいようやく手術の3日後に取れました。
同時に尿の管も外していただき、点滴はあるもののベッドから出ることが出来ました。
しかし出れたと言っても車いすですし、前記の”コルセット”を装着しないといけないんです。
自分の身体に合わせて作ってあるので、ピッタリフィット!
身体を曲げれないように固定するものみたいです。
だけど、これが不便なんです。
外せるのは寝るときだけ。あとはずっと付けていないといけないんです。
風呂(シャワー)のときも付けて入らなければいけなくて…。
ここでだけの話ですが、kojiは外して入ってました。身体洗いたいですよね?
手術した後は風呂も時間つぶしの1つなんですよ。ゆっくり入りたいし。
風呂を出た後、外してたのを看護師さんに見つかってめっちゃ怒られました。w
まあ、こんなこともありつつ、車いすから立ち歩きする器具?裁判所の被告人席の囲いみたいな、子供が立って歩くためのキャスターが付いた器具?歩行器?名前がわからないんですが、とにかく それで 歩く練習です。
歩く練習なんて言うと、さぞかし痛そうな、歩くのがやっとのような言い方ですが、そんなことはありませんよ。
【慣らす】ですね。
どこへ行くにも歩行器とコルセットと共に院内を歩いていました。
さて皆さん、ここでkojiがこれから最大の敵と闘う事になります。何だと思いますか?
そうなんです。時間です。
時間との闘い
先ほど風呂の話をしたときに、時間つぶしと言う言葉を使いましたが、まさしく時間が最大の敵でした。
身体は腰以外健康です。内臓も問題ありません。
なので色々考えられた病院食ですが(ごめんなさい、こんなこと書いて)美味しくない、足らない です。
1日3回、時間になると半セルフサービスで食事をします。
半って何?と思っている方に…
かたずけがセルフなんです。出てくるときはベッドまで運んできてくれます。が 食べ終わったら廊下の配膳車へかたずける。と言う事です。
たぶん患者さんによって同じ部屋でも食事内容が少し違うのではないかと思います。(身体の具合だったり、アレルギーだったりで)だから配膳するときだけ間違わないように配膳して、かたずけだけはセルフなんだと思います。
1階にドトールコーヒーショップがあり、毎日珈琲を飲みに行ってました。ホットコーヒーがアイスコーヒーになるまで時間と闘い、先生の回診に合わせてベッドに戻り、終わったら1階の売店へお菓子とスポーツ新聞を買いに行き、病院内を歩き回り、お菓子を食べながらゲームをし(この入院で1本終わりました。ゼルダの伝説、大地の汽笛w)

トイレも一日何回したかなども聞かれるんですよ。
こんなこと以外、何もする事がなく、ボケーっと外の景色を眺めていました。
幸い桜の咲く時期で病院の前に公園があり、そこの桜がきれいでした。
夜になると遠くの高層マンションのイルミネーションが付いていて、なかなかきれいなんですよ。
それを見るのもルーティンでした。
このイルミネーション、今の自宅で犬の散歩の途中で見えるんです。
散歩の途中でそのイルミネーションを見るのもルーティンになってます。w
リハビリ
入院、後半になるとリハビリがあります。
これは社会復帰のための重要な工程になると思いますが、kojiの場合、回復が早く ただただ、リハビリ室を歩くだけのものだったんですが、ここで色々な患者さんをみます。
もちろん話しかける事はないですが、歩きながらいろんなリハビリをしている患者さんをみてました。
自分よりもはるかに重度な患者さんがたくさんいました。
kojiは歩いているだけのリハビリでたまに階段の上り下りをするだけ。
最初は堂々と歩いていましたが、
だんだん小さく?
端っこに?
目立たないように?歩いていました。
とは言っても、歩く道が真ん中にあるし、kojiは180センチあるので、
小さくなれません、
隅っこなんて無い、
目立ってました。ww
こんな調子で、まあ1日の長い事。この時ですかねぇ。 健康がいいなって思うのは…。
そして、退院を迎えます。
長いようで短い入院でした。
腰痛を始めて発症したのが30代前半、それから入院するまで20年!。
ずっと痛かった訳ではありませんが、記述してきた事を経て、20年間腰痛と向かい合ってきました。
腰痛の最終手段は手術なのか、
これだけ化学(科学)が進歩しても直せない。
だましだまし付き合っていかなくてはいけないものなのか?
腰痛は「切ってください!」「はい!わかりました。」とはいかないみたいですが、kojiは切って良かったと思っています。
言い忘れていましたが、狭窄症なので隙間を開けるため背骨にボルトで固定しているものが現在も入っています。
kojiは今現在、腰痛もなく、元気に働いています。
身体を傷つける事が出来ないでいる人もいるでしょう。親から貰った大事な身体ですから。
このブログを読んで絶対に嫌だ!と思った方もいるでしょう。
でも痛くて、もがいて、苦しんだら救急車を呼ぶのも手だと思いますよ。
kojiは救急車を呼んだ事で手術をするきっかけになったのですから。
最後に
担当していただいた医師の方々ありがとうございました。
そして、看護師のみなさん。あなたたちがいないと患者はどうなるのでしょう?親身になって看護をしてくれる皆さんに『ありがとう、そして、元気に頑張って下さい。』あなたたちは、本当に ♥天使♥ だ!
koji